今、野菜不足による色々な問題がクローズアップされています。外食の増加などにより、子供の栄養の偏りや、病気への影響も懸念されています。もともと日本人は農耕民族ですから、野菜が不足するとたちまち健康に悪影響が出てしまうわけですね。
そうした野菜不足の解消に役に立つのが「青汁」です。青汁は、ケールや大麦若葉といった主原料の違いはあれど、どれも飲みやすく、また栄養豊富に作られています。また丸ごと野菜の栄養を摂取できるため、野菜不足を補うのに最適な健康食品と言えます。
誰でもそうですが、病気になってはじめて、健康の大切さを知るものです。
このため重い病いを患った人たちほど、反省も真剣なものが多く、食養を基調に、医療を実践する医師や、健康問題と取り組む研究者のなかには、大なり小なり病いをえて苦しんできた人々がほとんどです。
特に死線をさまよう病いを克服してきた人々は、その体験を、子々孫々がくり返さないようにと、集約した言葉が、格言や諺にもなっています。
先人たちが遺してくれた言葉のなかには、今日の生活にすぐ役立ち、適用できるものが少なくありません。
わが国の歴史上では、貝原益軒の著書「養生訓」がよく知られていますが、これも先人の遺訓として一読をおすすめしたいものです。
先人の言葉から、いくつかをひろってみましょう。
また自分に合う格言を作ってゆくのも楽しく、食養と健康生活への自己の意識を確立するうえで、大切なことではないでしょうか。
1.「腹八分に医者いらず」
この言葉は、表現は異なっても、世界中で語り伝えられている諺です。「少食に病なし」の意味で、過食と美食を戒めています。現代の飽食社会の日本人に、もっとも当てはまる格言の一つです。
2.「薬より養生」
この諺もよく使われますが、日頃の健康の心配りと実行こそ、第一で、病気になれば薬を飲んで治す、というような安易な思想を戒めています。「予防は医療に優る」といわれる通り、日頃から青汁などを食生活にとり入れることが重要です。
3.「過ぎたるは及ばざるが如し」
この言葉も、日本人にはよく使われる「論語」のなかの言葉です。いい食べものでも、いい薬でも、過ぎれば毒に変ずることを戒めています。
要するに「適度」を保つことですが、中国ではこの「適度」という言葉や「中庸」が重要視して使われてきました。千古の歴史の中国でも、人間が犯した誤りは、おなじもののようです。今日の医療のなかにおける、よく効く薬の副作用や、薬害問題に当てはめて、ぴったりくる戒めではないでしょうか。
また、習慣性になる事で、古来から戒めの言葉の多い「お酒」や、煙草ですが、「酒は百薬の長」とは中国の「前漢書」に出てくる言葉です。度を越さないかぎり、血液の循環をよくするのでどんな薬よりも良い、という意味だったようです。
しかし今日のように酒が安易に飲みたいだけ手軽に飲める時代では、むしろ「百毒の長」という戒めの言葉にした方が、適当ではないかと考えさせられます。
すでに五百年前に兼好法師は、
4.「百薬の長とはいえど、よろずの病は酒よりこそ起れ」
とのべています。また、
5.「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
という有名な格言があります。イタリアの詩人ユーエナーリスの言葉ですが、私たちの病気の原因は、食生活上の習慣や、悪癖が、主な原因になっている場合が少なくありません。食生活に対する健全な精神を身につけていなければ、健全な肉体は得られないことを、示唆しているわけです。
そこから病気を治すのには、癖なおし、過食癖、間食、甘いもの、夜おそく、寝る前近くに食べるなどの悪癖を治すことが、健康を維持するのに不可欠です。
そのためには、しっかりした健康への意識を、確立する必要があります。
いろいろな諺や、格言なども引用して、自分に一番、合った戒めの言葉を、食べたくなったときなどにくり返し、唱えて、抑制する、などの方法を、子どもじみてはいるか身につけるべきでしょう。
6.「習い性となる」
とか、
7.「習慣は第二の天性」などともいわれます。
何か特別な学習をするよりも、習慣にして慣れてしまう方が、身につきやすいことを、先人たちは教えてくれているのでしょうか。
少食を、少しづつ、毎日の食生活にとり入れてゆくと、やがて、苦しみもなく、体質となって過食をしないようになり、健康体が築き上げられます。
少食が身につくと、たまに過食すると、吐き気を催すほどに変わっていきます。
それは健康な体が、自己を守るために、あなたに発する「自然」からの警告信号であり、正常な良い体質に移りはじめた、ということにほかなりません。
参考になさってください。
ちなみに青汁のネックといえばクセのある味ですが、初心者には飲みやすい錠剤タイプのものや、抹茶のような味に改良された飲みやすいタイプのものも販売されていますね。ご興味がある方はご検討ください。
>>>青汁比較